いつもの通りコーヒーとお菓子で軽い朝食を取り、ヤスさんとお別れです。他の業界の皆さんの多くが、この方にお世話になったように、僕もとてもお世話になりました。ガソリンの入れ方、アメリカの作法、etc。
「次は最低でもツインカムだな。エボでM8についていくのはちょっとしんどいわ、ハッハッハッ。」
そう言って、バリバリ良い音をなびかせ、ボンネビルに向かったヤスさん。本当にありがとうございました。
そして僕らはアリゾナ州ラックマンテンズの鉱山の町、オートマンに向かいます。ここで世にも恐ろしい事件は起こります。まさか二度も命の危険にさらされるとは。。。。
恐怖体験前、束の間の癒しタイム。
鉄人:「ちょっと1枚ぐらいカッコイイ写真とりましょう!!」
僕:「ですよね~、調子に乗っちゃいますか♪」
ボスもパシャリ。
現実の景色とは思えないぐらいの美しさ。
何とも趣のある山小屋。
そして事件は起こります。
ヤスさんに別れ際「オートマンに行く道はカーブがきついから、くれぐれも気をつけるようにね。」とご指導はいただいておりました。しかし、事件は起こったのです。
こちらも百聞は一見に如かず、まずは下記映像をご覧ください。
峠を走り始めて右へ左へ上へ下へグルン、グルン。
まるで大きなソフトクリームの渦巻きの上を走っているがごとくグルン、グルン。
僕も16歳で原付からスタートして怖い思いは何度も経験しました。でもカーブを曲がり切れず膨らんでしまったのは今回が初めて。
プライベートでエボのツーリングモデルポリスに乗っているとはいえ、今回は慣れないウルトラ。ボスや鉄人は日本でもウルトラをヒラヒラ運転している達人。過信はなかったのですが、未熟さが露呈致しました。
何回目かの左カーブを曲がろうとした時、何故か反対方向を見てしまいました。曲がり切れず右に突っ込む!!無意識に前後のブレーキをポンピング。車体は道路を外れ、岩が転がる溝の中へ。『ガガガガガガガッ!』
もし、右側に山壁がなければ、僕はバイクごと谷に落ちてご臨終だったことでしょう。家族はもちろん、今回の旅行も台無し。多くのみなさんにご迷惑をお掛けしておりました。
落ち込む僕。
ボスとシュンとした僕。「まだまだだな、今笑っていられるけど落ちてたら洒落にならない。やっぱ、土の上でもっと練習しないと。」とご指導頂いて落ち込む僕。
話しは変わりましてオートマンのご紹介。気を取り直して街並みを写真撮影。当時のままのR66が残っているというオートマン。建物も西部劇で見たような趣。
このオートマンホテルは大スターのクラークゲーブルが結婚して初夜を過ごしたホテルとして有名らいしいです。
街道には鉱山採掘の為のロバの子孫がそのまま居残り野生化しています。小さいロバの赤ちゃんをみて、娘を思い出す僕。「娘が独立するまで、まだまだ死ねない。」
帰国後、とある海外経験豊富なお客さんと話していた時「へー、オートマン行ったんだ。良かったねぇ~落っこちなくて。」話によると日本人含め、何人も命を落としているそうな。。。
気になってネットで調べてみると、オートマンハイウェーは険しい道による事故の多発場所として有名で「血染めのハイウェー」という別称があるとか。
しかし、”オートマンの悪夢”はこれで終わりではありませんでした。「砂漠を走ってみたい。」とボスにリクエストしたことが仇となります。
オートマンを下って、砂漠地帯に。実はこの時の気温がなんと47.8℃、、、スタンドで購入した冷や冷やのペットボトルの水が、サドルバッグ入れて1時間も走ればあっという間にお湯に。こちらも百聞は一見に如かず。映像をご覧ください。
この灼熱の砂漠を走っているときです。
1車線しかないのでやはり追い越しは必要になる。その時です!ボスが追い越しを終えたので、次は僕の番とタイミングを見計らい反対車線に飛び出したところ、猛スピードで向かってくる車とタイミングが合わず、あわや大衝突。。。
日本では経験したことのない120~130キロ走行、あちらはヘタすれば150~160キロ走行、鉄の塊がガーンっとなったら、、、即死でしょう。正直、まさに間一髪でした。
心臓バクバクで走っていると、今度は後ろから轟音が聞こえてきます。チラッとミラーを見るとノーヘルにタンクトップ、白髪の髭をたくわえたワイルドなチョッパーシルエット。
僕ら3人もそれなりのスピードで走っていたと思いますが、そのワイルドおじさんは恐らく140~150キロぐらいでしょうか、あっという間に僕らを抜き去って行きました。
スタンドでこのワイルドおじさんと再会したのですが、ロードキングをベースにしたチョッパーカスタムがとても自然。走っている佇まいもとてもナチュラル。誰も何も意識せず、灼熱の風を思いっきり浴びて、100%Rideを楽しんでいる様子。
走るってこういう事なんだろうな。と感じました。
今でも好きでたまに聞いている僕の青春バンド“ブルーハーツ”の曲で“月の爆撃機”という歌があります。その歌詞の一説を思い出しました。
ここから一歩も通さない
理屈も法律も通さない
誰の声も届かない
友達も恋人も入れない
手がかりになるのは薄い月明かり
いつでもまっすぐ歩けるか
湖にドボンかもしれないぜ
誰かに相談してみても
僕らの行く道は変わらない
手がかりになるのは薄い月明かり
ハーレーダビッドソンって不思議な乗りものです。
このアメリカンヒーロー、鉄人Sさんに多大なる影響を与えたようで、「俺、次のハーレーはM8のローキンにしようかな。あんなカッコいいオヤジ目指すのもいいかも。」と。
まだまだ砂漠Rideは続きます。
右向いても、左向いても、ただただ砂漠。
汗をかいても直ぐ乾き、さすがに厳しかったですが、やっと昼食。
水とコーラが身にしみます。
LAまでの道のりも暑さも、まだまだ続きます。さすがにこの暑さ、こまめに休憩を取ります。レッドブル&モンスター、それにレモンドリンクを身体に注入。日本では見かけなくなったコンビニのampmも懐かしい。
そしていよいよLAへ。
車の数が多くなり、標識が多くなってきます。標識の多さと比例して僕の寂しさも大きくなってきます。
「あーあ、終わっちゃうんだな。」ひとりごちます。
そして、R66 Historic Ride.のゴール地点、イーグルライダーへ。マイルをキロに換算、合計2,046キロの大冒険でした。皆、ほっとした気持ちともっと走りたい気持ちでいっぱい。
総括すると、僕の人生に於いて最高の旅のひとつだったことは確かです。ボスは何故、今回僕にこの経験をさせたのか。
ハーレーダビッドソンに関わる人間として知らなきゃいけないことのひとつがこのRide経験だったと思うし、お店に来てくれる皆さんに本当の魅力、ハーレーを手に入れると素晴らしい時間が手に入るということも、これからは自信をもって伝えられるところまでは、今回の経験によって得られたと思います。
日本中走りまくりたくなったし、そうすべきだと思うし、色々な人と色々なRideを経験したくて、それを考えるとウズウズしてきます。
1955年創業の『ハーレーダビッドソン陸友/陸友モータース』。これからも生粋のハーレーライダーの皆さんと、一緒に歩んでいきたいと願っております。
この陸友というお店はショップのスタッフだけが作るのではなく、意味のないマニュアルは破り捨て、いつの時代も変わりなく皆さんと創り上げていくべき「俺(わたし)たちの店」で有り続けたいと願っています。
このブログを暇つぶしにご覧になってくれた皆さま。もし少しでもハーレーの魅力の再認識と新たな発見のきっかけになったとしたら、これ幸いです♪ありがとうございました。
さて、走りに行きましょうか。
Vol.12(おまけ編)に続く。
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